室町のころから、奈良市の「正暦寺」では、のちに近代清酒の礎となる技 術が紡がれてきた。菩提酛、三段仕込み、諸白づくり、搾り、そして火入れ̶̶。今では当たり前となった数々の手法は、すべてここから始まった と言われている。だからこそ奈良は“清酒発祥の地”。その奈良で、新たな 酒造好適米「奈々露(ななつゆ)」が静かに産声をあげた。今から十数年前、酒造組合からの要請を受け、時間をかけて生み出されたのだ。奈良県 の米農家とともに県産米での酒造りに尽力する蔵、奈良県御所市『油長酒 造』を訪ね、その物語に耳を傾けた。
山本長兵衛さん
大学卒業後に百貨店勤務を経て家業へ。2014年に13代目として代表取締役に就任し、創業300 年となる2019年に代々襲名される長兵衛を襲名。目標は、酒造りを通じて100年先に美しい日 本を伝えること。
油長酒造には、風の森を醸す御所まち蔵、水端を醸す享保蔵、
2024年に新造されたS風の森を醸す山麓蔵があり、地域に根差し里山を守り育てる酒造りを行っている。
奈良に、あたらしい酒米の息吹──「奈々露」誕生
「奈々露」とは
奈良県で初めて生まれた酒造好適米「奈々露(ななつゆ)」。その名が示すとおり「露葉風」の血を受け継ぎ、「露葉風」(母)と「山田錦」(父)の交配種子に、さらに「吟のさと」を重ねて育まれた、奈良だけの特別な品種。「露葉風」は全国で奈良県だけが準奨励品種としているが、中山間部向けの早生品種ゆえ、平坦部での栽培が難しい課題があった。そこで奈良県農業研究開発センターは、2012年から平坦部でも育つ酒米づくりに取り組む。そして2024年4月26日、「なら酒1504」として品種登録を出願。8月28日にはその出願が公表された。奈良盆地の気候と寄り添い、豊かな心白を持つ——。醸造適性も高く、奈良の地に根を張る新たな酒米として誕生したのが「奈々露」だ。
『油長酒造』と「風の森」
今回「奈々露」について話を伺ったのは、奈良県御所市に蔵を構える『油長酒造株式会社』十三代蔵主・山本長兵衛氏。屋号の由来は、慶長の頃に製油業を営んでいた「油屋長兵衛」。酒づくりへ歩みを移したのは1719年のこと。以来300年以上、蔵は技術革新の歴史とともに歩んできた。代表銘柄「風の森」は、金剛山麓を吹き抜ける風が集まる「風の森峠」にその名を借りた。日本で最も早く稲作が行われた地とも言われるこの場所では、かつて地元の米で造られた酒が人々の暮らしを潤していたことだろう。その歴史に目を向け、地域の米を使って1998年に新ブランドとして生み出されたのが「風の森」。いま蔵で主に扱う米は、当時から奈良で親しまれてきた「秋津穂」、そして「露葉風」、今回誕生した「奈々露」。およそ75%を奈良県産米が占め、これからもその割合をさらに増やしたいと語ってくださった。地元とともに醸し、地元とともに生きる——。そんな思いが蔵の息遣いから伝わってきた。
「奈々露」への期待と酒造りの未来
「奈々露」の物語は、先代が生前、酒造組合の酒米担当だった時、奈良県農業研究開発センターに〝奈良独自の酒造好適米を〟と願いを託したことから動き始めたと聞いている。「露葉風」こそ奈良を代表する酒米だが、そのルーツは愛知県。他県が独自の酒米開発を進める中、奈良の土地に根ざした酒米誕生の挑戦は、とても希少で価値ある一歩と言える。これからの酒づくりに必要なのは、データや技術だけではない。その土地が育む風土、生産者の手の温度、地域の記憶——。それらをどう伝えていくかが大切になっていく。「奈良の米で造った奈良の酒を飲む。それは奈良を応援すること」。生産者とともに地域を守り、未来へつないでいく。その物語を、「奈々露」とともに静かに、丁寧に醸していきたいと願っている。